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★ BRUCE DICKINSON(ブルース・ディッキンソン) ソロワーク ディスコグラフィー ★ このアルバムがスゴイ!?|IRON MAIDENを新たなステージへ導いた“重金属野人”のオルタナティヴな檄重ソロワーク!!…必聴アルバムは?

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IRON MAIDENから放逐された二代目フロントマンのは、再建人ロイZとのプロジェクトによる驚異的な完成度のモダン・ヘヴィメタルで本家をひれ伏させる!!

ブルース・ディッキンソンのソロワークのディスコグラフィ/レビュー、おすすめアルバムだけをチェックしたい方は【記事下部】か【目次】のリンクからも移動できます!!

ブルース・ディッキンソン(BRUCE DICKINSON)は、イングランド出身のシンガー/ミュージシャン。

N.W.O.B.H.M.のフラッグシップIRON MAIDENのフロントマン?!?

ブルース・ディッキンソンは、一般的には80年代英国の伝説的ヘヴィメタル・ムーヴメント『N.W.O.B.H.M.』の出身バンドとしては、〈DEF LEPPARD〉と並ぶ最大の成功者であるIRON MAIDEN(アイアン・メイデン)のフロントマンとして知られています。

IRON MAIDENのヴォーカリストとしては、デビュー以降では初代のポール・ディアノから、その地位を引き継いだ二代目ですが、IRON MAIDENを世界的トップグループに押し上げたキャリア黄金期にフロントをつとめていたことから、一般的にはディッキンソンこそがIRON MAIDENの顔として認められています。

ディッキンソンは、1993年〜1999年のIRON MAIDENを脱退していたものの、バンド復帰以降はは現在に至るまで途絶えることなく、IRON MAIDENのフロントを張り続けています

IRON MAIDEN以前のディッキンソンのキャリアは!?

ブルース・ディッキンソンは、IRON MAIDENへ加入する以前も『N.W.O.B.H.M.』ムーヴメントの中で活動を行っていました。

初期にはいくつかのグループを渡り歩きますが、最終的には“皮覆面”をかぶったギミックのドラマー『サンダースティック』の存在で知られる〈SAMSON〉に在籍し、『ブルース・ブルース』のステージネームを名乗って2枚のアルバムに参加しています。

IRON MAIDENでのディッキンソンの功績は!?

IRON MAIDENでの前任者であるポール・ディアノは、パンキッシュでラフな初期衝動型のヴォーカル・スタイルを持ち味としており、それによってIRON MAIDENを、旧来のハードロックやヘヴィメタルとは異質な、パンク/ハードコアで世代のならではの、まさに「ヘヴィメタルのニューウェイヴ」たる存在たらしめていました。

ブルース・ディッキンソンは、ワイルドな歌唱スタイルながらも、歌唱力重視のより古典的なメタル・ヴォーカリストであり、〈JUDAS PRIEST〉のロブ・ハルフォードほどではないものの、ハイトーン・スクリームにも対応していました。

そのため、IRON MAIDENが、一般メタルリスナーに受け入れやすいよりオーソドックスでなヘヴィメタル・サウンドへと移行するために、ディッキンソンの存在が大きく貢献したと言えます。

ブルース・ディッキンソンのIRON MAIDENとの決別!?

ディッキンソンは、IRON MAIDENに在籍していた時期からソロでの活動をスタートしており、やはりIRON MAIDENに在籍時の1990年には、最初のソロ・アルバムもリリースしていました。

しかし、先輩格のロブ・ハルフォードがJUDAS PREASTを脱退した翌年の1993年に、サイド・プロジェクトとしての自身のソロ活動を巡る、バンド/マネージメントとの対立という、ハルフォードと全く同じ原因によってIRON MAIDENを脱退。

ディッキンソンはソロに転向しますが、結果的に、ヘヴィメタル・シーンのトップグループでその象徴ともいえる、英国二大ヘヴィメタル・バンドが、のフロントマンの脱退によって活動中止に追い込まれるという事態を招くことになり、両者ともに一部のメタル界隈ではバッシングの対象にもなっていました。

ブルース・ディッキンソンのソロワークでの音楽性は!?

ソロ・プロジェクトおけるディッキンソンは、IRON MAIDENの活動の中で世に出すことが難しい作風を中心に、自身の創作意欲のおもむくままの音楽性を追求していました。

最初期はポップなハードロックを中心に、ニューウェイヴ色の強い作風も聴かせていましたが、IRON MAIDEN脱退後は、オーソドックスなヘヴィメタルとグランジやラップメタル/ファンクメタルとの融合や、含めた、より本格的なオルタナティヴロックへの接近、90年代ドゥームメタル寄りのヘヴィサウンド・アプローチなど、同時代的な最先端ヘヴィミュージックを取り入れたスタイルで、完成度の高いアルバムを次々とリリースしていました。

その中で、IRON MAIDEN時代とはやや異なるスタイルながら、オールドスクールなヘヴィメタルに接近したサウンドも試み、IRON MAIDENにも勝るヘヴィメタル・センスも実証していましす。

ベテラン・バンド再建人ロイZとタッグ結成!?

ディッキンソンは、ソロ・プロジェクトにおいては、無名の若手ミュージシャンを中心的に起用しており、IRON MAIDEN脱退後の初アルバムとなる通算2作目の1994年の『Balls to Picasso』は、アメリカのラテンロック・バンド、〈TRIBE OF GYPSIES〉とのコラボレーションによるものでした。

その中心人物である『ロイZ(Roy Z)』は、〈SKUNKWORKS〉名義の3作目を除く全てのソロ・アルバムに、ディッキンソンの右腕として参加しています。

また、ロイZはこれを機に腕利きギタリスト/プロデューサーとして頭角を現し、ベテラン・バンド再建人としてヘヴィメタル・シーンにおいて引く手数多の存在となります。

盟友エイドリアン・スミスとの合流!?

ブルース・ディッキンソンのソロ・プロジェクトには、1997年からIRON MAIDEN時代の盟友エイドリアン・スミスも参加しています。

スミスは、1980年にIRON MAIDENに加入し、2ndアルバム『Killers』以来ギタリスト兼バッキング・ヴォーカルを務めていた古参メンバーで、1990年にIRON MAIDENを脱退して以降は、ソロや複数のバンドで活動を続けていました。

ブルース・ディッキンソンIRON MAIDENへ復帰!?

ブルース・ディッキンソン不在となったIRON MAIDENには、後任としてWOLFSBANEブレイズ・ベイリーが加入。
WOLFSBANEがロックンロール色の強いパンキッシュなハードロックだったことから、最初期への原点回帰を期待する向きもありましたが、プログレ的な大作主義の大仰な作風を改めることはなく、それがベイリーのラフなスタイルとの相性が悪買ったことから評価は低迷し、音楽的にもスランプに陥ることになります。

ディッキンソンは困窮を極めたRON MAIDENに復帰を請われ、1999年にはIRON MAIDENへの復帰を果たしたことで、本格的なソロ活動は終焉を迎えますが、ディッキンソン復帰後のIRON MAIDENはソロ時代を超える作品は生み出せていません。

なお、ディッキンソンがIRON MAIDENへと復帰を果たした際には、エイドリアン・スミスも行動を共にして、以来IRON MAIDENはトリプルギターという異例の態勢で活動を続けています。
そのことから、スミスを併せての再加入がディッキンソン復帰の条件であったとも目されています。

また、ディッキンソンは復帰後もソロで活動を行うことの承認を得ていたようで、その後もソロとして1枚のアルバムをリリースしています。

次ページはブルース・ディッキンソンのソロワークのディスコグラフィ&レビューを紹介!!▼リンクはページ下!▼

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