Contents
- 1先鋭性と作家性が希薄な職人的プロデューサー兼ミュージシャンが、ライバルの背中を追い続け、インダストリアル・メタル・シーンで世界的ステイタスを築くまでに生み出された、デスメタル・アルバムの評価は?
- 1...1北欧の鬼才ペーター・テクレン率いるバンド!?
- 1...2HYPOCRISYのバンド体制は!?
- 1...3スウェディッシュ・デスのトップ・グループ!?
- 1...4HYPOCRISYの音楽スタイルは!?
- 1...5ペーター・テクレンとダン・スウォノはライバル!?
- 1...6RAMMSTEINのメンバーとのタッグで世界的ミュージシャンに!?
- 1.1HYPOCRISY|DISCOGRAPHY
- 1.1.1Penetralia|ペネトレーション
- 1.1.2Osculum Obscenum|オスカラム・オブセナム
- 1.1.3The Fourth Dimension|ザ・フォース・ディメンション
- 1.1.4Abducted|アブダクテッド
- 1.1.5The Final Chapter|ザ・ファイナル・チャプター
- 1.1.6Hypocrisy|ヒポクリシィ
- 1.1.7Into the Abyss|イン・トゥ・ザ・アビス
- 1.1.8Catch 22|キャッチ22
- 1.1.9The Arrival|ザ・アライヴァル
- 1.1.10Virus|ヴァイラス
- 1.1.11Catch 22 V2.0.08|キャッチ 22・バージョン2.0.08
- 1.1.12A Taste of Extreme Divinity|ア・テイスト・オブ・エクトリーム・ディヴィニティ
- 1.1.13End of Disclosure|エンド・オブ・ディスクロージャー
- 1.1.14Worship|エンド・オブ・ディスクロージャー
先鋭性と作家性が希薄な職人的プロデューサー兼ミュージシャンが、ライバルの背中を追い続け、インダストリアル・メタル・シーンで世界的ステイタスを築くまでに生み出された、デスメタル・アルバムの評価は?
HYPOCRISY(ヒポクリシー)は、スウェーデンのデスメタル・バンド。
北欧の鬼才ペーター・テクレン率いるバンド!?
HYPOCRISYは、フロントマンのペーター・テクレン(Peter Tägtgren:Gt.&Vo.)を中心としたグループ。
テクレンは、パーマネントなバンドやサイド・プロジェクトで活動のほか、自身のスタジオも所有して、地元スウェーデンのアンダー・グラウンド・シーンを中心に、プロデューサー兼エンジニアとして数多くのバンドを手がけています、
また、様々なプロジェクトやバンドのサポートなどで多数のコラボ経験を持つ、セッション・ミュージシャンとしても幅広く活動しています。
HYPOCRISYのバンド体制は!?
HYPOCRISYはテクレン主導のグループで、プロデュース/ミキシングなども本人が手がけていますが、ソングライティングにおいては他のメンバーも積極的に関わっており、クレジットは常にバンド名義になっています。
5人編成のデビュー時のラインナップは、1stアルバムのみに終わり、それ以降はミカエル・ヘドランド(Ba.)とラーズ・セーケ(Dr.)の3人を中心とした体制となっていました。
なお、現在のオリジナルメンバーは、テクレンと創設時から現在までのパートナーであるヘドランドの2人のみとなっていますが、ペースは大きく落ちたものの、アルバムもリリースも含めて活動を続けています。
スウェディッシュ・デスのトップ・グループ!?
HYPOCRISYは、スウェーデンのオールドスクールなデスメタル・シーンにおいてトップグループの一角を占めていますが、やや後発ということもあって、一般的には、パイオニアにあたる〈ENTOMBED〉〈DISMEMBER〉〈GRAVE〉〈UNLEASHED〉の“BI4”に次ぐ二番手、三番手に位置付けられています。
中心人物のテクレンは、どちらかというと職人肌のミュージシャンでもあり、先鋭性や先見性,強烈な個性や作家性に秀でた部分は見られません。
しかし、既存のスタイルを組み合わせて水準以上のものを作り出す能力には長けており、それはHYPOCRISYのスタイルにも明確に反映されていますし、ビッグネームをから声がかかる一因かもしれません。
HYPOCRISYの音楽スタイルは!?
HYPOCRISYは、オーソドックスなスタイルのデスメタルとしてスタートしていますが、当初は、典型的なスウェディッシュ・オールドスクール・デスメタルとは、やや毛色の異なるサウンドを展開していました。
『ポスト・デスメタル』『ネクスト・デスメタル』の動きが盛んになった90年代の半ばからは、90年代型のスウェディッシュ・デスラッシュやドゥームメタルの要素も取り入れつつ、扇情的なメロディを強調したスタイルへとシフトしてゆきます。
これにより、同時期の〈DISMEMBER〉などにも近い、いわゆるメロディック・デスメタルにも通じる、メロディアスなデスメタルを展開するようになり、これがHYPOCRISYの基本スタイルとして定型化することになります。
ペーター・テクレンとダン・スウォノはライバル!?
テクレンは、やはりスウェーデンの鬼才と呼ばれるダン・スウォノとは、活動内容やシーンでの立ち位置などで重なる部分や共通点が多々見られます、
そのこともあって、バンドで共演するなど友好的な関係でありながらも、その先進的な活動に刺激を受けつつ、ライバル視していた節もあります。
デスメタルへの、エモーショナルなメロディやゴシック的耽美エッセンスの導入や、ゴシック/ニューウェイヴ・テイストを持ったソロプロジェクトの始動など、過去の活動の足跡などからは、意識してかせずか先行するスウォノに対抗してそれをトレースしたかのような形跡も見て取れます。
RAMMSTEINのメンバーとのタッグで世界的ミュージシャンに!?
テクレンは、サイド・プロジェクトのPAIN(ペイン)を中心としたインダストリアル・メタル路線にも重きを置いており、積極的な活動を展開していました。
その活動が実って、〈RAMMSTEIN〉のティル・リンデマンからプロジェクトのパートナーとして抜擢を受け、20021年までは〈LINDEMANN〉名義のユニットとしても活動を行っていました。
これにより、デスメタルの枠を超えて注目を集めたことも手伝い、インダストリアル・シーンにおいては、知る人ぞ知る存在として北欧のみならず世界的に知名度を高めています。
それも含め、一歩先を行くダン・スウォノの影を追うフォロアーに過ぎなかったテクレンも、世界的な知名度の高さとビッグメームとの共演という点においてはスウォノを超えるキャリアを実現したと言えます。