Contents
- 1停滞/衰退したプログレッシグメタルシーンをに革命を起こすべく腐敗してカビの生えた様式美を破壊した救世主とは?
- 1.1瞬間的だった初期プログメタルブーム、なぜ続かなかった?
- 1.1.1プログメタルビッグネーム二大巨頭の失速
- 1.1.2新規参入バンドも復活組も息切れ。
- 1.1.3結局ブームは瞬間的で後は細分化するだけ!?
- 1.1.4プログレメタルは大きく盛り上がることは無い!?
- 2プログメタルの改革者は周辺から現れる!
- 2.1プログレ改革は80年代から起こっていた。
- 2.2プログメタルシーンに革命を起こし、新世代グループに多くの影響を与えた最重要バンド - 80's~90's
- 2.2.1THE POLICE|ザ・ポリス
- 2.2.2RADIOHEAD|レディオヘッド
- 2.2.3MESHUGGAH|メシュガー
- 2.2.4TOOL|トゥール
- 2.2.5NEUROSIS|ニューロシス
- 2.2.6THE DILLINGER ESCAPE PLAN|ザ・デリンジャー・エスケイプ・プラン
停滞/衰退したプログレッシグメタルシーンをに革命を起こすべく腐敗してカビの生えた様式美を破壊した救世主とは?
DREAM THEATER(ドリームシアター),QUEENSRŸCHE(クイーンズライク)ら第1世代の活躍や早弾きギタリストブームなどの追い風もあって、ブームとなってちょっとしたムーヴメントを起こしたプログメタル。
しかし、その第1期プログレメタルブームの勢いは長くは続きませんでした。
瞬間的だった初期プログメタルブーム、なぜ続かなかった?
大きな理由としては…
◎後続のフォロアー的は多数登場するも、小粒/力不足でシーンを牽引するほどの存在ではなかった。
◎メタルとしてもプログレとしても中途半端な上に新奇性も無かったため単純に飽きられた。
…というところでしょう。
こういったマイナス要因が絡み合い、シーン自体は大きくなったものの当初の勢いは大きく失われ、ムーヴメントとしては尻すぼみになります。
プログメタルビッグネーム二大巨頭の失速
QUEENSRŸCHEとDREAM THEATERの失速の原因は何だったのでしょうか。
それぞれメタル史に残る大ヒット作を生み出したことで、リスナーからはそれと同路線を期待されますが、どちらもファンのニーズよりも作家性を重視した音楽活動に入ります。
DREAM THEATERは、プログレとヘヴィメタルを共存させるいうシバリに中で、アカデミックなアプローチや技術至上主義を追求し、QUEENSRŸCHEは疾走感がウリの王道ヘヴィメタルから、グランジ路線とも揶揄されるヘヴィでオーガニックな質感のサウンドに移行して、ひたすらそのスタイルにこだわり続けます。
どちらもメタルファンの支持を集めたことで、人気バンドとしてシーンを代表する存在となりましたが、サウンドの路線変更でファン層の中心である一般メタルファンのニーズからズレた存在となっています。
第1世代を中心とした初期のムーヴメントも90年代後半にもなると勢いを失い、熱心な固定ファンこそ常に存在したものの一般層をつなぎ止めることはできず、初期の熱狂的な勢いは取り戻せないままです。
新規参入バンドも復活組も息切れ。
DREAM THEATERとQUEENSRŸCHE以外に、シーンを牽引するフラッグシップ的な存在が登場しなかったのも痛恨でした。
この2バンドのブレイク以降プログメタルが注目を集め、それに続くバンドも続々と現れてその数だけはかなりのものになりました。
さらには、KANSAS(カンサス),RUSH(ラッシュ),MARILLION(マリリオン)といった70~80年代に活躍していたプログレハードやポンプロック系のバンドに対しても、プログメタルのルーツとして再評価の機運が高まり、再結成や新作リリースなど積極的な活動でプログメタルシーンの活性化を後押しします。
しかし、ワラワラと現れた“バンブーシュート・アフター・レイン”から、シーンのトップに食い込むほどの逸材が生まれることはなく、その多くが思うほどの成果を得られずに解散も相次ぎます。
リバイバル組にしても、復活時こそ注目されたものの勢いが続かず、ささやかな草の根活動に終始するバンドがほとんどでした。
結局ブームは瞬間的で後は細分化するだけ!?
結局のところプログレメタル第一世代は、単に過去のサウンドの様式美と過去の方法論を焼き直していただけにすぎませんでした。DREAM THEATERとQUEENSRŸCHEにしても確かに名作は生み出し大ヒットしますが、それはたまたまメタルブーム/早弾きギタリストブームなど、タイミングの追い風を受けた結果に過ぎません。
それも、あくまで“保守メタラー好みの技巧至上主義を反映しただけの、ドラマティックでキャッチーな様式美ヘヴィメタル”としての評価であり、前衛的で進歩的な本来の意味でのプログレッシヴなバンドとして評価されたわけではありませんでした。
そもそも、プログメタルに対してメタル要素を重視するかプログレ要素を重視するかだけでも、バンドのアプローチに対するリスナーの評価は大きく食い違ってきます。DREAM THEATER,QUEENSRŸCHEの失速も、バンド側と大多数のリスナーに大きな齟齬があったということに尽きるでしょう
バンド側がその辺りを読み違えたのかあえて無視したのかはわかりませんが、どちらにしても彼らの全盛期を支えたリスナーの求めるサウンドとは大きなズレが生じていたことだけは間違いありません。
プログレメタルは大きく盛り上がることは無い!?
結局、プログメタルは細分化された1ジャンルとして特定のリスナーに支持されても、全世界を巻き込むブームになるものではなかったのでしょう。
もちろん、革新的なサウンドが生まれた時にさらに様々なタイミングが重なって、タマタマ大ヒットを飛ばすことはありえるでしょうが、それはあくまで例外的なもの。
プログレメタル第一世代によるムーヴメントとその崩壊は、それがビッグビジネスになると踏んだレコード会社やマスコミの皮算用と勇み足が巻き起こした、コップの中の嵐に過ぎなかったのかもしれません。
プログメタルの改革者は周辺から現れる!
ところが90年代の半ばあたりから、プログメタルリスナーが全く注目していなかったシーンから、のちのプログメタルバンドに大きな影響を与える存在が次々と登場します。
それも当然で、様式美とは無縁のプログレッシヴマインドは、初期のプログメタルではなくエクストリームメタルその他の周辺ジャンルによって引き継がれていたからです。
これらの革新的バンドたちは、当初それぞれの属するシーンのクラスタだけに注目されていましたが、00年代以降新たなムーヴメントが生まれなくなり近縁ジャンル間でのミクスチャー/クロスオーバーが盛んになるにしたがって、プログメタルシーンもこれら周辺ジャンルから影響を受けるようになります。
プログレ改革は80年代から起こっていた。
遡って見てみるなら、80年代にはプログレッシヴロックは衰退したとされていますが、実際はそのプログレッシヴマインドと本来の役割は一部のニューウェイヴ/オルタナティヴ系バンドに引き継がれただけの話であって、逆にベテランプログレバンドがそこから受けた影響をサウンドに反映さていせたほどです。
ここでは80年代から90年代に登場して、プログメタルのみならずポストロック/ポストハードコアなど現在のプログレシーンのルーツとなったバンドを紹介します。すべて、「彼らの存在がなければ現在のプログレシーン全く別物になっていた!」と断言できる最重要グループです
プログメタルシーンに革命を起こし、新世代グループに多くの影響を与えた最重要バンド – 80’s~90’s
THE POLICE|ザ・ポリス
ジャズ/フュージョン系のバンドで活動していて今は活動家としても知られるスティング(Sting)、ジャズ系セッションギタリストとして数々の大物アーティストと共演していたアンディ・サマーズ(Andy Summers)、CATHEDRALの入場曲にも使われたプログレバンドカーヴド・エア(urved Air)のスチュワート・コープランド(Stewart Copeland)の3人による、80年代のUKロックを代表するバンドのひとつ。
メジャー第一線での活動とポップなイメージが強いことから、プログレッシヴロックの文脈で語られることは少ないですが、間違いなくメインストリームでは80年代最強の超一級プログレッシヴロックバンドと呼んでも過言ではありません
凄腕ミュージシャンがシンプルでラフなパンクスタイルを演じるという、パンクブームに乗りつつもその欺瞞をえぐるクレバーなパロディ的コンセプトの中で、“ホワイトレゲエ”とも呼ばれたレゲエとロックの独自のミクスチャーサウンドを完成させた初期、そこにワールドミュージックなど様々なエッセンスも取り込んだオルタナティヴなニューウェーヴポップの後期、その全てが完璧な完成度と強烈な個性に彩らた奇跡のバンドです。
直接的なフォロアーこそ生まれなかったものの様々なジャンルのアーティストに多大な影響を与えていて、それはヘヴィメタルやプログレッシヴロックにも及んでいます。
RAGE(レイジ)やEDGH OF SANITY(エッジ・オブ・サニティ)のように彼らの曲をカバーしたメタルバンドも少なくありませんし、ネオプログレバンドのFROST*(フロスト)の3rdFalling Satellites収録のFirst Dayは、彼らの名曲SynchronicityⅠを元にしたものです。
RADIOHEAD|レディオヘッド
おなじみ英国を代表する大物ロックバンドのRADIOHEADは、90年代以降のプログレッシヴロックシーンにひとつの大きな流れを作った最重要バンド。
80年代以前のプログレッシヴロックやポンプロックをエレクトロニック技術を駆使したオルタナティブロック/ポストロック的な方法論で再構築しつつ、ゴシックにも通じる英国伝統の内省的な叙情性も感じさせる独自のサウンドは、同時代のプログレ志向のバンドたちの指標となりました。
ブリットポップとビッグビートに席巻された当時のUKロックシーンですが、彼らの他にもTHE VERVE(ザ・ヴァーヴ),MANSUN(マンサン),SIX BY SEVEN(シックス・バイ・セブン),LONG FIN KILLIE(ロング・フィン・キリー)など、60〜80年代ロックの影響下にあるプログレ/アートロック的バンドが登場しており、のちにはそれらを総括する存在としてMUSE(ミューズ)のような新世代ポンプロックも現れます。
もちろんメタルシーンへの影響も無視できません。特にANATHEMA(アナシマ),THE GATHERING(ザ・ギャザリング)などのプログレッシヴ/オルタナティブ志向のゴシックメタルには、彼らの方法論は大きなヒントとなりました。
また、それらに近い音楽性を持ったANEKDOTEN(アネクドテン)やPORCUPINE TREE(ポーキュパイン・ツリー)などの、メタル色もあるダークプログレ勢にとってもRADIOHEADの影響は絶大です。
MESHUGGAH|メシュガー
MESHUGGAHは複雑な展開と構築美、そしてフュージョン風のフレージングやソロワークを持ち味とした、テクニカルなスラッシユ/デスメタルからスタートして好事家の注目を集めます。
のちに、初期のダイナミックな曲展開を捨てポリリズムを取り入れたトリッキーなリズムを主体とした、実験的な要素の濃いヴルーヴィーでミニマルなエクストリームメタルを完成。
このスタイルはのちに“ジェント(Djent)”と呼ばれ、プログメタルのいちジャンルとなるほど世界的に数々のフォロワーを生み出し、MESHUGGAHはそれをリードするカリスマとなります。
また、ロックシーンでのジャズ/フュージョン再評価的な機運というブースターがあったにせよ、彼らの活躍はクラシカル至上主義で食わず嫌いが多いメタルリスナーに、ジャズ/フュージョン的なアプローチをクールなものとして啓蒙することにも役立ちました。
上記のCYNIC(シニック)やWATCHTOWE(ウォッチタワー)の再評価/再結成についても、MESHUGGAHの功績なしには語れないでしょう。
TOOL|トゥール
TOOLは、USハードコア/ヘヴィロックのカリスマで、自身もROLLINS BAND(ロリンズバンド)として90年代プログレッシヴヘヴィロックの名盤を作り出したヘンリー・ロリンズに見出されて、90年代初頭に華々しくメジャーデビューします。
当初の彼らのサウンドはROLLINS BANDからの影響も多大でしたが、ALICE IN CHAINS(アリス・イン・チェインズ)のようなダークなサイケデリアとドゥーミィなエッセンス、それに内省的な世界観を持ったヘヴィロックの系譜にも連なる存在でもありました。
そんなわけで、あえて言えばポストグランジ的な立ち位置的のバンドですが、PINK FLOYD(ピンク・フロイド)と比較されることが多いサイケデリックでプログレッシヴな感覚と、ゴシック的ともいえるセンシティブでアトモスフェリックかつフリーキーな耽美性、MESHUGGAHにも先駆けたポリリズムを導入したサウンドなどを兼ね備えた、複雑で強烈な個性を持っていたことで、有象無象のポストグランジバンドとも完全に一線を画しています。
メタル,グランジ,プログレ,ドゥーム,ストーナー,ゴシック,ポストロックetc…様々なカテゴリで語られる多面的な音楽性を持ちつつも、その実どのジャンルにも属することのない唯一無二のスタイルを持ち、ジャンルと時代を超越した独自の宇宙を作り上げたバンドです。
NEUROSIS|ニューロシス
NEUROSISは、オルタナティブでドゥーミーなハードコアからスタートしますが、のちに彼らのルーツにあったSWANS(スワンズ)などのダウナーなヘヴィサウンドや、デスメタル,ドゥームメタル,スラッジメタルなどをベースに、アンビエント,ゴシック,ノイズ,エスニックなどの要素をミックスした、ウルトラヘヴィでエクスペリメンタルなエクストリームミュージックを作り上げます。
長らく先鋭的でマニアックなリスナーのみに支えられていましたが、90年代中期からの米国ヘヴィミュージックブームの中で彼らも注目を浴びるようになり、世界的にも評価が急上昇します。
“元祖ポストハードコア”とみなされることもある重要なポストのバンドで、彼らの存在なくしてのちのエクストリームなプログレメタル/ポストハードコアのシーンは存在しえませんでした。
MASTODON(マストドン),ISIS(イシス)といった彼らの影響下にあるバンドが作りあげたサウンドは、一時代のプログメタル/ポストハードコアを代表するスタイルとなりました。
THE DILLINGER ESCAPE PLAN|ザ・デリンジャー・エスケイプ・プラン
“デリスケ”ことTHE DILLINGER ESCAPE PLANはジョン・ゾーン(John Zorn)のプロジェクトNAKED CITY(ネイキッドシティ)やPAINKILLER(ペインキラー)、マイク・パットン(MIKE PATTON)のMr. BUNGLE(ミスター・バングル)などが実践していた、ノイズ/アバンギャルドミュージックとデスメタル/グラインドコアをルーツにしたエクストリームミュージックを融合させたスタイルを、メジャーなヘヴィミュージックシーンで展開することに成功したバンド。
実際のところ、非メタルシーンまで視野に入れるなら音楽的に目新しい要素は一切ありません。
しかし、以前は一部のマニアだけに偏愛されていた、“わかりやすい曲展開”も“フックの効いたフレーズ”も“キャッチーなメロディ”も無く、ノイジーなサンドを複雑でテクニカルな展開だけで聞かせるスタイルを、キッズから脳筋リスナーにまで浸透させメジャー化させた功績は評価すべきです。
のちにハードコア系バンドによるプログレッシヴロックのリバイバルムーヴメント、ポストハードコアにカテゴライズされ、それを代表する存在に数えられるようになります。
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